クロワッサン


もう一ヶ月以上前になりますが、

こちらに良くコメントをくれる、

「からだ回復院 鹿屋」のコム先生から、

三日月屋さんのクロワッサン詰め合わせを頂きました

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ゴマ(上)とプレーン(下)。

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コム先生一押しのココア(上)ときなこ(下)。

このほかにも、よもぎ、あずき、チョコ、

などなど、10種類ほどの詰め合わせでした。

こちらのクロワッサンはサクサクでバターの風味が損なわれず、

レベルが高いと思います。

冷凍庫で保存し、食べたい時にオーブンで加熱することで、

出来たてのような状態が楽しめます。

近くにお店があれば通うのにな~と思います。

東京と福岡にしかお店がないようなので、

なかなか購入できる機会がないのが残念ですが、

インターネットでも注文できるようです。

三日月屋 HP ; http://www.mikadukiya.com/index.html

さて、このクロワッサン。

生地にバターをはさんで何度も折りたたむことで、

独特のサクサクの食感になります。

フランス語でのcroissant は、元々は「上弦の月」の意味。

1686年にオーストリアハプスブルク家がブダペストをトルコ軍から

奪回した時に作られたのではないかとされているそうです。

トルコ国旗に描かれている三日月を食べてしまおうという趣旨だったようですね。

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トルコは一度訪れたことがあります。

ボスフォラス海峡を挟んで、アジア側とヨーロッパ側に分かれているという

珍しい形態の国で、まさにアジアとヨーロッパの交差点。

文化、宗教が混ざりあい、

「エキゾチック」という言葉がピッタリ当てはまるような、

魅惑的な雰囲気に溢れていたことを覚えています。

非常に親日的な国で、トルコ国民のアンケートで、

「好きな外国は?」という問いでは日本が一番挙げられるそうです。

トルコの小学校教科書にまで出てくる有名な日本人といえば、山田寅次郎(1866~1957)。

1890年(明治23年)、明治天皇に親善訪問するために日本に訪れたオスマン帝国軍艦、

エルトゥールル号が帰国途中、和歌山県串本沖で台風によって座礁・沈没。

乗員581名が亡くなったものの、串本の住民たちの救助・介抱により69名が生存。

生存者は日本の軍艦によって、無事にトルコへ帰還した。

沼田藩江戸家老の次男として生まれ、当時24歳だった山田は、

自分に何かできることがないかと思い、

亡くなった乗員家族への義捐金を募るため、

新聞社に働きかけ募金運動を開始。

全国で演説会を行い、2年間で5000円(現在の2,700万円相当)を集め、

1892年(明治25年)に自ら義捐金を携えてオスマン帝国の首都イスタンブールへ。

民間人でありながら義捐金を携えて遠くの国からやってきた山田は熱烈に歓迎された。

その後、士官学校での日本語教育や東洋の美術品の整理を依頼され、

山田自身もトルコに留まって事業を起こすことを決意。

日本との貿易を行いながら20年余りを過ごしたが、

1914年に第一次世界大戦が勃発したために帰国。

帰国後は、製紙業に専念することになった。

大阪で設立した東洋製紙株式会社は、現在の王子製紙(製紙業日本1位、世界6位)。

実業界で成功しながらも、トルコとの親善交易に関心を持ち続け、

1931年には17年ぶりにトルコを訪問。

大歓迎を受け、当時のトルコ大統領に面会をしたところ、

大統領が士官学校時代、

山田から日本語教育を受けていたとの思い出を語られたのだとか。

すごい日本人がいたもんだ・・・。と感銘を受けました。

トルコと日本が友好を結んで120年。

日本人は、あまりトルコの事を知らないような気もします。

イスタンブールにまた行ってみたいなぁ…。

コム先生、頂いたクロワッサンから、

こんなに長文になってしまいました

「からだ回復院 鹿屋」開院1周年、おめでとうございます

お互い1年目、長い人生のまさに第一歩ですね。

これからも宜しくお願い致します